みなさーん、こんにちはーーーーー(●´σ皿`)コンニチ歯ッ

まったくご利益(りやく)のない神頼みしかできない、神社検定弐級を持っている寅です(/ω\)

いやー、非常に数は少ないんですが、この神社ブログを読んでいるマニア=マフィア=ゴッドファーザー的な読者がいるということで再開した、全くご利益ないブログですが、やはりデーターを見ると数名読んでいる人がいる・・・・(´Д`ι)アセアセァセァセ…(;´-∀-`)ゞ

このブログを読んでいるそこのあなたぁーーーーーーー(σ´Д`)σYOU!!

一体何が目的で、こんな全くご利益のない神頼み的なブログを読んでるんですかぁーーーーーヽ(‘Д’ヽ) ワッケ!! ( ノ’д’)ノ ワッカ!! ヽ( ‘∀’ )ノ ラン!!

一体、何を企んでいたら、こんなごく少数しか興味のないネタを取り上げているブログを読む気になるっていうんですかぁーーーーー(σ´Д`)σYOU!!

どう考えたって、前回書いたように浦島太郎は亀に似たUFOにのって宇宙に行ったっていうのが、あのおとぎ話の真相だっていうのに、まさか丹後半島と沖縄の間には太古の時代からサバニと呼ばれるくり船が走る航路があって、丹後一宮であり元伊勢である籠神社の奥宮である眞名井神社の雰囲気が御嶽(うたき)と似ているなんて・・・・そんなマニアックなことに興味があるっていうんですかぁーーー、そこのあなたぁーーーー(σ´Д`)σYOU!!

そして、日本人の精神性の一番奥底に眠っている「八百万(やおよろず)の神」=自然界すべてのものに神が宿るという信仰を突き詰めていくと、日本神道や日本の神社の原型はすべて、御嶽とよばれる自然そのものを崇拝するところに辿り着くというミステリーに興味がありすぎて、よだれたらしながら、このブログの続きを読みたいっていうんですか、そこのあなたぁーーーー(σ´Д`)σYOU!!

もー、しょうがないから今日も書きますよ、ごく少数のゴッドファーザーしか興味のないであろう、ご利益のないネタを・・・(;´Д`A “`(;´Д`A “`(;´Д`A “`(;´Д`A “`

ということで、今日も芸術は爆発しまくりで、凡人には理解しがたい天才性をベースに生きてらっしゃり、出版されるやいなやみんな知ってる有名人、川端康成や三島由紀夫に大絶賛された本「沖縄文化論ー忘れられた日本」から岡本太郎先生の考えを追っていきたいと思います( *´Д)σ)Д゚ )プニョプニョ

映画岡本太郎の沖縄 – 岡本太郎(1911-1996)は、1959年と1966年に沖縄に旅に出た。沖縄とは、私にとって一つの恋のようなものだったというほど、全身、全存在を沖縄にぶつけた。岡本太郎の沖縄は今の私たちとどうつながるのか?それを確かめに行くドキュメンタリー映画である。映画岡本太郎の沖縄 (okamoto-taro.okinawa)

こちらのサイトより写真とYoutubeを借用<(_ _)><(_ _)><(_ _)>

沖縄観光で一番有名な御嶽は、やはり琉球王国すべての神女(ノロ)のトップに立つ聞得大君(聞得大君(きこえおおきみ) | たびらい (tabirai.net))の就任式が行われる斎場御嶽(琉球王国最高の聖地 世界文化遺産 斎場御嶽 (okinawa-nanjo.jp))ですが、その就任式ではわざわざ神の島と呼ばれる久高島から砂を運んで、斎場御嶽に敷き詰めて行われていた・・・と聞くと、久高島ってどんだけ神の島やねん!と思いますよね、そこのあなた(σ´Д`)σYOU!!

そして、ちょっとネタ元がどこだったか忘れてしまいましたが、聞得大君が琉球王国の神女(ノロ)のトップに立つ際に、久高島に続く「外間ノロ」と「久高ノロ」という二つの神職につく神女(ノロ)が聞得大君の就任式をとりおこなわなければならなかった気が・・・(*ノωノ)

じゃあ、その神の島と呼ばれている「久高島」の中で、太古の時代より最も大切にされてきた御嶽が「クボー御嶽」・・・(´-ω-`)(´-ω-`)(´-ω-`)(´-ω-`)( *´艸`)

確か、上の写真が寅がクボー御嶽に行った時に、立ち入り禁止で入れるギリギリのところだった写真だった気がするのですが・・・多分・・(;´Д`A “`

この奥は本当は男子禁制なので、入ってはいけないのですが、島の人(久高ノロの息子さん)の案内で岡本太郎さんは特別にこのクボー御嶽に入って、その時の感想を「沖縄文化論ー忘れられた日本」に書かれています、謹んで引用させて頂きます<(_ _)><(_ _)><(_ _)>

「神と木と石」より

高々としたクバの木が頭上をおおっている。その下には道があるような、ないような。右に曲がり、左に折れ、やがて、三、四十坪ほどの空地に出た。落ち葉が一面に散りしいて、索漠としている。

「ここです。」

気をぬかれた。沖縄本島でも八重山でも、御嶽はいろいろと見たけれど、何もないったって、そのなさ加減。このくらいさっぱりしたのはなかった。クバやマーニ(くろつぐ)がバサバサ茂っているけれど、とりたてて目につく神木らしいものもなし、神秘としてひっかかってくるものは何一つない。息子さんは、今年の台風で木が倒れ、葉が吹き落されて、ひどく殺風景になった、いつもはもっと暗いという。つまり森厳な感じがあったというわけだろう。それにしても、わざわざ三十分も歩いて見に来たのがこの、まったくただの空地だったとは驚いた、いくらとぼけたハイカーだって、こんなところじゃあ弁当もひろげないだろう。

息子さんは端の方につつましく立ったまま、口数が少ない。ここもかつては男子禁制だった。そんな憚りがあるのだろうか。いまだって祭りには神人だけしか来ない。彼女たちが酒やご馳走をもって来て、ここで神様に捧げ、自分たちも食べる。残りを家に持って帰るのだが、男はそれにさえ手をつけない。「けれども満五十以上のじいさんは食べてもいいんです。」息子さんはそう言った。何となくユーモラスなので、笑ってしまった。

御嶽にはどこでも、かならず香炉が置いてある。コーロといっても、香をくゆらすとかお線香をたくためではない。多くはただの四角い切石で、それを通して神様を拝するのだが、ここにはそれも見あたらないようだ。

「香炉はどこですか。」

と聞いてみた。隅の方に三つ四つ、石ころが半分枯葉に埋もれてころがっている。それだという。どこかで拾ってきたという程度のものだ。その中に、本当の神聖な石があるのかもしれない。あるはずだ。しかし中のどれがそうなのか、あるいは全部セットになっているのか、のろの息子さんは、はっきり言わない。男だから、本当に知らないのか、あるいは知っていて教えないのかもしれない。信仰とかタブーに関しては、ひどく素直にそらっとぼけることがあるそうだ。

これだ、と言われれば、そうかと思う。そのつもりになって、見ようもあるが、でなけりゃどうしたって、ただの石っころだ。

何の手応えもなく御嶽を出て、私は村の方に帰る。何かじーんと身体にしみとおるものがあるのに、われながら、いぶかった。なんにもないということ、それが逆に厳粛な実体となって私をうちつづけるのだ。ここでもまた私は、なんにもないということに圧倒される。それは静かで、幅のふとい歓喜であった。

あの潔癖、純粋さ。 ー 神体もなければ偶像も、イコノグラフィーもない。そんな死臭をみじんも感じさせない清潔感。

神はこのようになんにもない場所におりて来て、透明な空気の中で人間と向かいあうのだ。のろはそのとき神と人間のメディアムであり、また同時に人間意志の強力なチャンピオンである。神はシャーマンの超自然的な吸引力によって顕現する。そして一たん儀式がはじまるとこの環境は、なんにもない故にこそ、逆に、最も厳粛に神聖にひきしまる。

日本の古代も神の場所はやはりここのように、清潔に、なんにもなかったのではないか。おそらくわれわれの祖先の信仰、その日常を支えていた感動、絶対感はこれと同質だった。でなければこんな、なんのひっかかりようもない御嶽が、このようにピンと肉体的に迫ってくるはずがない。 ー こちらの側に、何か触発されるものがあるからだ。日本人の血の中、伝統の中に、このなんにもない浄らかさに対する共感が生きているのだ。この御嶽に来て、ハッと不意をふかれたようにそれに気がつく。そしてそれは言いようのない激しさをもったノスタルジアである。

それにしても、今日の神社などと称するものはどうだろう。そのほとんどが、やりきれないほど不潔で、愚劣だ。いかつい鳥居、イラカがそびえ、コケオドカシ。安手に身構えた姿はどんなに神聖感から遠いか。とかく人々は、そんなもんなんだと思いこんで見過ごしている。そのものものしさが、どんなに自分の本来の生き方のきめになじまないか、気づかないでいる。

沖縄にも、こういう形式主義がないわけではない。私はそこに堕落して行くまでの過程、そのあらゆる段階が現存しているのを見た。本島、八重山、その他、数々ある御嶽を見て歩いていると、この久高島のようにクバの森とただの石っころという初源的なのから、ついにありふれた神社まがいに発展、いや成り下がる、その筋みちが系統図のようにはっきり掴めるのだ。そして日本の原始宗教 ー 天照大神なんて、そんなのいたのかいなかったのか、それはどうでもいいが、素朴な信仰から、国家権力を背景にしたいかめしい神社に至るまでの、日本神道の経てきた道はまさにそのまま、同じではないか。

はじめは清らかに単純だ。美しくしずまった森。神託によって定められた聖域が氏族生活の中心だ。その秘めた場所に、ひそかに超自然のエネルギーがおりてくる。それにつながり、受けとめることをぬきにして、彼らの生活の原動力を考えることはできない。

そびえたつ一本の木。それは神がえらんだ道。神の側からの媒体である。この神聖なかけ橋に対して、人間は石を置いた。それは見えない存在へ呼びかける人間の意志の集中点、手がかりである。

自然木と自然石、それが神と人間の交流の初源的な回路なのだ。

この素朴な段階でこそ、神と人間は相互に最も異質でありながら、また緊密だった。人間は神を徹底的に畏れ、信じた。

やがて形式主義がはじまる。ただの石ころから四角い切石の体裁に。神と人間の通いあう清冽な流れの中に、人間の匂いが、一種の夾雑物としてまじりはじめるのだ。それは自己増殖する。

切石が香炉という名でよばれるようになり、そして本当の香炉として実用的形態をそなえてくる。やがてお仏壇に見られるような、飾りのついた陶磁器の鉢となる。今日多くの御嶽では、切石と陶器の香炉がダブッて飾られ、混乱のあとを示している。香炉は明らかに後世の仏教の影響である。

倒錯がおこる。神にむかう手段にすぎなかった香炉、人間側のポイントだけが、次第に意識の中央にせり出してくる。神の側からのかけ橋であった自然木は、その役割がいつの間にかあいまいになって、聖域イビの背景に退いてしまう。

さて、香炉の上に屋根がつく。雨露しのぎにさしかけただけの粗末なものだった。森の湿気の中で、それは見る間に朽ちて行く。そうした姿もあちこちに現存している。それがやがて丈夫な瓦屋根に変り、囲いが出来、次に香炉だけでなく拝む人をもすっかりおおうようになれば、もうレッキとしたお社だ。いつの間にか入口には門構えが出来たり、内地風の鳥居まで立ちはじめる。社前に並んだ石灯篭なんて、まったくもってガッカリだ。・・・・もう少し戦争が永がびきでもしたら、どんなになっただろう。忠魂碑なんてアクセサリーまでとり揃えて、ナントカ嶽神社などと勇ましく、沖縄中の御嶽や日本(やまと)の皇道精神に右へならえしてしまったに違いない。

自然のままよりも尊大な形をつけた方が神様を大事にしているんだと思っている。素肌で神にふれ、対決する、きびしい切実なつながり、その緊張を忘れ、人間はこのようにあまりにも人間的な形式主義によって、神をまつりあげる。それは逆に神聖感を消し去り、同時に人間としての充実感をも失わせてしまうのだ。

私は今まで、エジプトの神殿、アクロポリス、出雲大社が神聖だと思っていた。しかし何か違うのではないか。それは人間の意志と力にあふれた表情、いわば芸術の感動ではなかったか。それを通して、背後にある恐ろしい世界、その迫力みたいなものに圧倒される。権勢をバックにした豪壮さ、洗練を極めた形式美。つまり力と美に対する驚歎であり、アドミレーションである。

沖縄の御嶽でつき動かされた感動はまったく異質だ。何度も言うように、なに一つ、もの、形としてこちらを圧してくるものはないのだ。清潔で、無条件である。だから逆にこちらから全霊をもって見えない世界によびかける。神聖感はひどく身近に、強烈だ。生きている実感、と同時にメタフィジックスな感動である。静かな恍惚感として、それは肌にしみとおる。

神は自分のまわりにみちみちている。静寂の中にほとばしる清冽な生命の、その流れの中にともにある。あるいは、いま踏んで行く靴の下に、いるかもしれない。ふと私はそんな空想にとらわれていた。

ということで、岡本太郎さんがクボー御嶽に入って感じたことが、我々日本人の精神性の一番奥深いところにある原初の感情、縄文人の遺伝子を引き継ぐ血の中に残された記憶としての、この自然すべてに神が宿る、八百万信仰のあるべき姿なんだと寅は思います(*ノωノ)

本来日本人は土に生える雑草一本にも神の息吹を感じられる民族だと言われていますΣ(・ω・ノ)ノ!

それはまさに岡本太郎さんがクボー御嶽で見た、自然以外そこには何もない・・・でも、そこにはすべてが宿っていることを悟るという感覚なんだと・・・・Σ(・ω・ノ)ノ!

そして、日本人は、その御嶽と呼ばれる自然の中に神々が宿る感性を徐々に低下させて、形式美に走り、そこにお社を建て、鳥居を造り、見えない世界を信じられなくなった霊性の欠如が見える形で神社という建築物をつくらざる負えなくなったと・・・・(;´Д`A “`(;´Д`A “`(;´Д`A “`

ちょっと岡本太郎さんが厳しめに聞こえますが、でも、本来の日本人が持っている感性では、そこに鳥居がなくても、神社の拝殿がなくても御嶽=ありのままの自然=1本の雑草や木、石に神が宿っていることを感じられるほどの高い霊性をもっていた・・・それが日本神道の原点である八百万の神々信仰なんだと・・・そして、それが岡本太郎さんの「沖縄文化論」のサブタイトルである「忘れられた日本」なんだと思いますΣ(・ω・ノ)ノ!

何もないことへの眩暈(めまい)を起こすほどの聖地である久高島のクボー御嶽で、神の存在を感じられる霊性がまだ自分の中には残っている・・・そして、その霊性を思い出す・・・八百万の神々様は、あなたがいつ、その、忘れられた霊性を思い出してくれるのか、今か今かと待っているかもしれません( *´Д)σ)Д゚ )プニョプニョ(●´∀)σ)'Д●)プニ( *´ェ)-∈)皿´o)プニ

ちなみに、クボー御嶽は、クバの葉(和名は蒲葵(びろう)がたくさん生えているからクボー御嶽なんて言われていると、ネタ元忘れましたが、寅の記憶にはあります(;´Д`A “`(;´Д`A “`(;´Д`A “`

クバの葉の籠 | オーガニックな島時間 ♡ 久高島だより (ameblo.jp) こちらのサイトより写真を借用 <(_ _)><(_ _)><(_ _)>

久高島の祭祀にはこのクバの葉がよく使われるらしいのですが・・・・(`・д´・; )ゴクリ

ビロウの杜(びろうのもり) | おきろぐ沖縄(オキログ沖縄) (okibluesky.com)

実は新たに天皇が即位する「践祚大嘗祭」で使われる仮屋の屋根はクバの葉で作らねばならず、民族学者の吉野裕子さんが、天皇家の祭祀にはクバの葉が多くつかわれていることを指摘しています・・・Σ(・ω・ノ)ノ!Σ(・ω・ノ)ノ!Σ(・ω・ノ)ノ!

参考資料

【synopsis】「クバへ/クバから」_「クバ」とは|いぬのせなか座 (note.com)

イザイホーと天皇の祭り : 追跡アマミキヨ (exblog.jp)

なんか、天皇家は朝鮮半島からやってきた人々だ的なことを言う人が多くて、義務教育の学校の歴史の先生なんかも平然とそんなことを授業で言っていた記憶が寅にはあるのですが、どうやら天皇家の神事をひとつひとつ見ていくと、クバの葉だけでなく、南方の香りがしまくりで、朝鮮半島のような寒いところで取れる植物は使われていなく、どう考えても沖縄かそれより南からやってきたとしか考えられないようなところもあるらしい・・・とご利益の全くないブログしか書けない寅は極秘情報をつかんでしまっています |*`艸´)ククク…って、いう程極秘でもないかぁ・・・(;´Д`A “`(;´Д`A “`(;´Д`A “`

天皇家と沖縄の繋がりを調べていくとおもしろいので(ネットで調べると色々と出てくると思います、久高島と天皇家も)もしご興味がある方はこの週末でも是非ネットサーフィン(って死後?)してみてくださーい(*`Д´)っ))ナンデヤネンッ!!

ま、天皇家のことは別にしても、この自然すべてに神が宿るという八百万信仰を本当の意味で思い出すには、沖縄の御嶽(うたき)信仰に触れて、鳥居も参道もお社もご神体の鏡もない、自然以外何もない・・・何もないことへの眩暈(めまい)を感じることで、我々のDNAの奥底に眠っている、忘れられた日本人の感性が蘇ってくるかもしれませーーーーん、って相変わらずのご利益まったくないブログでしたぁーーーー、よい週末を ア────( `Д´ )ノシ───バョ!!