みなさーーーん、こんにちはぁーーーー (ノ≧▽≦)ノ ヤッホー!!

まったくご利益(りやく)のない神頼みしかできない、神社検定弐級を持っている寅です(/ω\)

いやー、前回は元伊勢について考えてみたら、元伊勢と名の付く場所がわんさかわんさか、ここ掘れワンワンみたいにざくざく出てきて、本当にビックリしましたねぇー(´-ω-`)

天照大御神 together with 豊鍬入姫命(のちに倭姫命(やまとひめのみこと)に引き継がれる)の大冒険たるや、攻略本を持たずにドラクエやっているみたいで、きっとどこにいけばクリアできるんだぁーーーー、どこが伊勢神宮が本来あるべき場所なんだーと、それはそれは大変だったことでしょう(ノД`)・゜・。

寅の理解が正しければ、その大冒険の最中、天照大御神は一度だけ他の神様と一緒に住んでいる時期があり、それが後の伊勢神宮の外宮の神様、豊受大御神(とようけおおみかみ)で、この神社で何度もお話している丹後一宮 元伊勢籠(この)神社で4年一緒に過ごしたようです(=゚ω゚)ノ

御祭神・御由緒|丹後一宮 元伊勢 籠神社(このじんじゃ)  奥宮 真名井神社(まないじんじゃ) (motoise.jp)

じゃあ、この豊受大御神という神様は何者なんだ?というと神代の昔から現在の丹波と丹後のあたりで祀られていた神様のようです(-ω-)/

そして、一緒に4年過ごした後に、また天照大御神 together with 豊鍬入姫命(のちに倭姫命(やまとひめのみこと)に引き継がれる)の大冒険が再開され、豊受大御神は一行を送り出した後もこの地に祀られていたのですが、今の伊勢神宮の内宮に天照大御神が祀られた後、しばらくたって、一人だと心細いから、豊受大御神も伊勢に来てくれないか?と頼まれて、豊受大御神も丹波・丹後から伊勢まで移って、今の外宮に祀られるようになったとのこと(=゚ω゚)ノ

豊受大御神が伊勢に行った後の元伊勢 籠神社の主祭神は天孫降臨の邇邇芸命(ににぎのみこと)の兄弟神である天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)になったと(´-ω-`)

天火明命 – Wikipedia

そして、伊勢の外宮に移った豊受大御神は、天照大御神の食事を司る神として今に伝わっていて・・・どちらかというと、天照大御神につかえる、天照大御神よりも格が下の神様のような印象が一般的には広まっていると思います、はい(´-ω-`)

正宮|豊受大神宮(外宮)|神宮について|伊勢神宮 (isejingu.or.jp)

が、しかし・・・寅は、尊敬するUtoutoさんのブログを読んで驚愕したのです ギャァ────(艸Д<; )────ァァ!!

なんと、元伊勢 籠神社の奥宮である眞名井神社に・・・なんと天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が祀られているぅーーーーギャァー!∑(;゚Д゚ノ)ノ

六甲山と瀬織津姫 45 天御中主神ライン : 追跡アマミキヨ (exblog.jp)

奥宮 眞名井神社|丹後一宮 元伊勢 籠神社(このじんじゃ)  奥宮 真名井神社(まないじんじゃ) (motoise.jp)

古事記好きな方ならわかると思いますが、天御中主神は、この宇宙が出来た際に一番初めに生まれた神様で、この宇宙のTop of Top、いや、宇宙の根源神ともいえる神様で、寅は神社が気になりはじめてからいろんな神社に行きましたが、ダイレクトに天御中主神をド直球で祀っている神社はここ以外に記憶がない・・・・ガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル

天之御中主神 – Wikipedia

しかも名前が眞名井神社・・・・ヒィー!(>ω<ノ)ノ

寅のどーでもいいガラクタみたいな知識の中に、「マナ」が出てきた時は要注意という警報アラームがあるのです・・・(ノД`)・゜・。

マナというのはこの世とあの世の境を示す言葉で、「マナの壺」とか言ったりしますが、私達の一番身近なところで使われているものでいうと「まな板」です・・・Σ(・ω・ノ)ノ!

まな板の上に乗る食材は、我々人間が食事をするために、基本まな板の上で裁かれて命を失うか、もしくはすでに命を失ったものがまな板に乗って、それを調理するということをするので、昔の人はまな板の手前が「この世」、まな板の上が「あの世」と認識していたようですΣ(・ω・ノ)ノ!

なので、「あの世」のものには手を触れてはならないとまな板の上の食材を調理する際には、下の写真のように包丁と大きな箸をうまく使って調理していたのですΣ(・ω・ノ)ノ!

食材に“触れず”魚をさばく 約1200年続く伝統儀式の庖丁式 /南房総市 | 海と日本PROJECT in 千葉県 (uminohi.jp) こちらから写真を借用

それを踏まえて、眞名井神社の名前を見ると・・・マナが入っているだけに、「この世」と「あの世」の境か・・・ギャァ────(艸Д<; )────ァァ!!

寅が眞名井神社に行った時、写真撮影可の本殿前までの写真をいくつか貼っておきます(=゚ω゚)ノ

そして、籠神社で買った、籠神社の宮司さんが書いたこの本を読むと、正直・・・寅には難しくて、わからないところも多かったのですが・・・ただ、一つわかることが・・・(`・д´・; )ゴクリ

そう、ここには豊受大御神=天御中主神と書かれているのですーーーーギャァー!∑(;゚Д゚ノ)ノ

ということは、豊受大御神は宇宙の根源神で、今まで伝承によりあえて(隠されてきた?)天照大御神より格下と一般人に印象づけられていた伊勢神宮の外宮の神様は、天照大御神が見上げても見えない程の高いところにいる神様じゃないかぁーーーーーΣ(・ω・ノ)ノ!

ちなみに天御中主神がこの宇宙に生まれた1番目の神様とすると、下記の図のようにイザナギ、イザナミまでかなりのステップがあり(次元降下)、さらにイザナギとイザナミの国産み、神産みで多くの神が生まれ・・・(-ω-)/

神世七代 – Wikipedia こちらのサイトから図を借用

黄泉の国から帰ってきたイザナギが98番目に生んだ神様が「アマテラスオオミカミ」で、99番目が「ツクヨミノミコト」、100番目が「スサノオノミコト」(だった気がします・・・間違ってたらごめんなさい<(_ _)>)だとすると、天照大御神からみて天御中主神はどんだけ高次元にいる神様なんだと・・・・・Σ(・ω・ノ)ノ!

ただ、伊勢神宮には「外宮先祭(げくうせんさい)」といって、必ず、まず外宮(豊受大御神)にお参りしてから、内宮(天照大御神)をお参りする慣習があるのは・・・・もしかして、まずは宇宙の最高神である天御中主神=豊受大御神にお参りしてから、その後日本国の最高神である天照大御神にお参りするのが、正しい順序という隠されたメッセージがあるのか???ヒー!∑(゚Д゚;≡;゚Д゚) ヒー!

伊勢神宮(内宮・外宮・別宮)の正式な正しい参拝の仕方「参拝時間・参拝方法・服装」 | 伊勢神宮(内宮・外宮)-御朱印 (jinja-tera-gosyuin-meguri.com)

たしかに霊感が強い人達の何かのブログか本で、内宮より外宮の方がエネルギーが凄くて、クラクラする的なことを書いていた方も・・・・|ョ゚Д゚;))怖ァ…

いやー、豊受大御神が丹波丹後からわざわざ出向いて、伊勢神宮の外宮にお移りになされた経緯がミステリーすぎて、古代史好きにはよだれがとまらないですよねぇーーーー、あああ、歴史って楽しいなぁーーーールンルン (㊤b‘∀`)bルンルン♪ で今日は終わりたいと思いまーす、ァディオ───(`・ω・´)ノ───ス

って、ちょっと・・・文章書き終えて、上に貼った天御中主神のYoutubeを見てて、最後に汗かいてきた ァセァセ…(;´-∀-`)ゞ

このYoutubeの最後の最後でサムハラ神社奥の院の写真が出てきて・・・・確かに今、調べたら造化3神を祭っているから、天御中主神が祭られていても不思議はないのですが、実はサムハラ神社奥の院をめぐるエピソードが寅にはありまして・・・Σ(・ω・ノ)ノ!

神様に呼ばれた人だけ行ける!と話題の「サムハラ神社奥の宮」|おか旅 | 岡山観光WEB【公式】- 岡山県の観光・旅行情報ならココ! (okayama-kanko.jp)

寅の母方の祖父は、小さい頃、鳥取の山側の母親のお家で育ったということを聞いていて、たまたま日本中を旅している時に鳥取を通る予定だったので、寅の母から連絡してもらって、挨拶だけしていこうと思ったのです。そして、祖父の母方のお家でお墓参りさせてもらって、帰ろうとしたら、寅のそのおじいちゃんの父型は岡山の山奥の出身らしく、よく聞くと津山市加茂というところらしく、まあ車でそんなに遠くないし、ついでだからその町にも行ってみようと、ナビを頼りに下記の地元の人がくるちょっとした銭湯のような温泉のような場所に、お昼ご飯を食べるついでに、さくっとお風呂に入らせてもらおうと車を置いたら、ナビにサムハラ神社奥の院の文字が・・・・(´-ω-`)

めぐみ荘(百々温泉)│つやま小旅 (tsuyamakan.jp)

そう大阪のサムハラ神社というのがものすごく人気があるというのは、このブログでお馴染みの「追跡アマミキヨ」を読んで、その時に知っていて、その奥の院がどうやら岡山の山奥にあるらしいというのも知っていたので、ナビにサムハラ神社奥の院が出てきた時には、おおおお、こんなところにあるんだーと思いながら、お風呂入って、お昼ご飯を頂き・・・・(´-ω-`)

六甲山と瀬織津姫 101 サムハラ神社 : 追跡アマミキヨ (exblog.jp)

さて、来るだけ来てみたから、次の目的地に行こうかなーと思ったら、携帯電話が鳴って、出てみると寅の母親の弟であるおじさんから・・・(-ω-)/

「いやー、鳥取に電話したら、寅が津山に向かって行ったって聞いたから、寅のおじいちゃんの父方が檀家だったお寺に電話しておいたから、墓参りしていきなさい」と言われて、聞いたお寺をナビで設定すると・・・・ちょっと待てーーーー、サムハラ神社奥の院から目と鼻の先のお寺で・・・・寅の血には、もしかしてサムハラ神社と何か関係のあるDNAが含まれているのか?・・・・と、その時は思ったものですΣ(・ω・ノ)ノ!

結局、お寺に行くと、車で10分ほど行った寅の(母方の)おじいちゃんの父方のお墓に参っていると、なんか続々と近所の人がめずらしそうに集まってきて、おじいちゃんの家系のことを話まくられて、日が暮れて、その時はサムハラ神社奥の院には行かなかったのですが、ずっと気になっていたので、確かその翌年に改めて行った気がします・・・(=゚ω゚)ノ

(翌年行った写真です)(-ω-)/

そう、そして鳥居の裏に、鳥居を奉納した人の苗字が、寅の苗字と一緒で、ちょっとネットで調べてみると、このサムハラ神社、山口県の寅と同じ苗字(寅の父方で山口県出身、寅もいまだに本籍は山口です、かたやサムハラ神社のすぐそばのお寺の檀家は寅の母方)の人達が管理している???っぽいことが書いてあり・・・・もしかして・・・寅の父型の家系との繋がりがあったりしないか・・・とちょっと怪しみましたが、それ以上深入りするのは避けた気がします・・・(´-ω-`)(ちなみに当時スマホで調べた際には山口と関係あった気がしましたが、今ネット見るとそのような山口県との記述があった記事がないので、間違っているかもしれません、確かに寅の記憶には山口というのがあったのですが(/ω\))

いやー、Youtube見てたら、思いがけずサムハラ神社の写真が出てきたので、思わず、ちょっと寅のサムハラ神社に関わるエピソードを書いてしまいました・・・ァセァセ…(;´-∀-`)ゞ

ま、特に意味もない追加の文章でしたが、サムハラ神社、興味ある方は是非行ってみてくださーい(´∀`*)ウフフ

今度こそ、お昼ご飯いくぞーーー、では、みなさん、ホナ( ´ω` )ノさいなら

寅のCM

京都といえば、そりゃ清水寺だったり、嵐山だったり、金閣寺だったり、銀閣寺だったり、もう魅力的なところばっかりで・・・・・・インバウンドの外国からの旅行者満載ですよね・・・良いことですが、日本の魅力を海外の方に感じていただけるのは、非常にいいことですが・・・混みますよね・・・・(´-ω-`)

そう、こちらの丹後一宮の元伊勢大神宮の籠神社周辺も、おなじく京都府で、平安の京の都とはまた違った趣があって、天橋立は丘の上から見るとキレイだし、海も素敵だし、かつ掘れば掘るほど古代ミステリーがざくざく出てくるので、「そうだ京都に行こう」と思った時には、京都市内だけではなく、この丹後地方もとてもおススメですよー(∩´∀`)∩