みなさーん、こんにちはーーーーー(o’Д’b)b☆゚。+。こんにちは。+。゚☆d(d’Д’o)

まったくご利益(りやく)のない神頼みしかできない、神社検定弐級を持っている寅です(/ω\)

いやー、前回は都心のお洒落なカフェで妄想ビックバンブログを書いてしまって、もーーーもじもじしながら顔文字付きのダサい文章書いてましたが、今日は、家のすぐそばの使い慣れたシェアオフィスの個室の中なので、安心感ありますねーーー(/ω\)

たまに慣れないことをやってみてこその、いつものルーティーンのありがたさ的なことも感じて、人生って奥が深いぜーーーと思う朝9時20分です(´∀`*)ウフフ

そして、前回、もしやニニギノミコトは古代のお金である宝貝を沖縄から南鹿児島に運んで加工してはアジア全域と交易していた人で、だからこそ神様とあがめられたんじゃないか?的な完全に妄想ビックバン説を、全くご利益ない感じで書いてみました ∑(ノ∀`*)アチャー

そもそもなんでそんな妄想を持つようになったのか・・・・・(。-艸・。)ァリャリャ

以前にも書きましたが、沖縄での3年の転勤生活の最後の最後で、どうしても久高島に行かざる負えない状況に追い込まれたのも理由の一つですが、実はもう一つあるのです(;´Д`A “`(;´Д`A “`(;´Д`A “`

久高島に行くことになって色々沖縄南城市について調べるようになって、沖縄を含めた形で古代日本や古代日本神話について考えるようになり、柳田国男さんの「海上の道」などを読んで、内地(日本列島の本島)と沖縄を含む琉球諸島を行き来する海の交通事情が気になり始めた訳です ホゥホゥ(o-∀-))

で、沖縄南城市を調べれば調べるほど、そこは聖地がてんこもりで、これは沖縄から東京に戻る前に、沖縄での3年の転勤生活が本当に楽しかったので、東御廻り(あがりうまーい)の聖地などを廻って、「3年間ありがとうございました<(_ _)>」と感謝の気持ちを伝えてから東京に帰ろうと、転勤生活の最後の方の週末は、ほぼ南城市に通いまくっておりました(/ω\)

「東御回り(あがりうまーい)」琉球王国時代から続く、思い、願う巡礼の旅 – オリオンストーリー (orionbeer.co.jp)

特集 | らしいね南城市 | 沖縄県南城市観光ポータルサイト (kankou-nanjo.okinawa)

そこで、東廻り(あがりうまーい)のルートからは外れるのですが、寅を古代琉球の世界にいざなってくれたブログ「追跡アマミキヨ」で知ったのですが、大里グスクに月の神を祀るチチンガーという井戸があるとのことで(甦る古代琉球〈8〉斎場御嶽の「太陽と月」信仰 : 追跡アマミキヨ (exblog.jp))、そこまで行って目をつぶって、手を合わせて、お祈りしていたら、「海流ハイウェイベイビーズ」という言葉が聞こえた気がしたのです・・・(;´Д`A “`(;´Д`A “`(;´Д`A “`(;´Д`A “`

「うん?なんだ?」と目をあけて思いました・・・・(*´-ω・)ン?

チチンガーに行った時の写真を貼っておきます(´-ω-`)

その後も頭の真ん中に「海流ハイウェイベイビーズ」という響きは残り、なんだ???とは思っていたのですが、ふと気づいたのです・・・・「もしや、海流ハイウェイベイビーズというタイトルの小説を書けということか・・・(;´Д`A “`」と・・・ハクションッ!(o>Д<)o.:∵;´、

そう、文学部卒の寅は19歳から29歳までの10年間小説家になりたくて、大学在学中とサラリーマン生活のかたわら小説を書き続けていたのですが、無念ながらも小説大賞の第三次選考までは2度ほど突破したことはあるのですが、最終選考まで辿り着かずに、沖縄に転勤する2年前には小説書くのをやめて、普通の一サラリーマンとして生きようと決めて、チチンガーで「海流ハイウェイベイビーズ」という声が聞こえた時には、かれこれ5年程小説を書いていない状態だったのです ゴホゴホ(( +д+))o=3=3

どーしよーかなーと思いつつ、スマホなどでぼーっと日本列島海域の海流の流れを何気なく泡盛飲みながら見る日々が続き (´-ω-`)

日本近海の海流 (nihonshima.net) こちらのサイトから写真を借用<(_ _)><(_ _)><(_ _)>

「確かに黒潮と対馬海流に分かれる前のおおもとの海流が沖縄、琉球列島の左側を走っているから、この海流に乗ってしまえば、太平洋側も日本海側も海流をハイウェイ(高速道路)のようにして使って、サバニは海の上を走れるんだよなーーー」と泡盛で酔っ払いながら思い ヾ(-ω-; )ォィォィ

「しかも、黒潮の通る途中にちょうど伊勢神宮がある伊勢志摩湾があって、対馬海流が通る途中にあの古代神話の中心地である出雲があるのは偶然か??」なんてことを、泡盛飲み過ぎて眠くなって、布団に潜り込む前に思ったり ヾ(-ω-; )ォィォィ

そんなことを思いながら、海流を高速道路のようにつかいこなしていた民族(ベイビーズ)がもしかしていたんじゃないか?・・・と酔っぱらいながら思い、もーーしょーがねーなーーー、頭の真ん中から「海流ハイウェイベイビーズ」という響きがどいてくれない・・・と思いながら書いた小説が「海流ハイウェイベイビーズ(海流ハイウェイベイビーズ (syosetu.com))」です シ───(。-ω-。)───ン

と、同時に、ぼーっとGoogleマップで泡盛飲みながら、スマホで、琉球諸島から南鹿児島に続く島の並びを見ていたりしたのが、野間半島でニニギノミコトの上陸地を発見した経緯ですが (。-∀-)

↑ 全体図

↑ 沖縄から与論島

↑ 与論島から加計呂麻島までの島の配置

↑ 加計呂麻島 奄美大島 喜界島海域から屋久島に向けての島の配置

↑ 屋久島、種子島から南鹿児島(ニニギノミコトの上陸地である野間半島含む)

今の一般常識で考えるとエンジンを積んでない木の舟であるサバニで沖縄から南鹿児島まで来られるわけがないと考えてしまいがちだけど、そりゃ一気に来るのはなかなか難しいにしても、沖縄を出て、まず与論島で休憩して、体力回復した頃に沖永良部島までサバニを漕いで、また同じように休憩しては次に徳之島目指して、加計呂麻島や奄美大島まで来て、天気が悪くて海が荒れ始めたら、海が落ち着くまで島で待って、その後諏訪瀬島、中之島、口之島、口永良部島、屋久島、種子島なんかを休憩取りながら、海の様子を見ながら、休み休み、時間をかけてサバニ漕いでいけば、沖縄から南鹿児島はエンジン積んでないサバニでも十分海上交通の道として機能しうる ホゥホゥ(o-∀-))

いやいや、GPSもないサバニで次に向かう島がわかる訳ないと思うかもしれないけど、古代の人達はテレビもパソコンもスマホも持ってないので、現代人に比べてめちゃくちゃ視力がいいので、それこそサバニ漕ぎながら、次に向かう島影は目で見えていた可能性が高い ホゥホゥ(o-∀-))

さらに沖縄の海人(うみんちゅ)は、久高島と沖縄本島の間の15キロくらいだったら平気で泳いで渡っていたらしく、何かの本で読みましたが、浦添や首里の辺りでアメリカ軍に遭遇した海人がとっさに海に飛び込んで、逆サイドの糸満、南城市まで泳いで逃げてきたとか Σ(・ω・ノ)ノ!

今の現代人の常識は、古代には全く通用しない!!!!(ノ゚Д゚)ノオォオォ

黒潮や対馬海流の海上交通ルートを使う方法が、新幹線、特急、ハイウェイ(高速道路)だとしたら、琉球諸島の島々を休み休み渡りながら南鹿児島まで向かう海上交通ルートは、各駅停車、鈍行、下道(一般道路)って感じか Yes!!∑d(‘∀’o)

ニニギノミコトしかり、その後神武天皇までの天皇家の祖先は鹿児島、宮崎、熊本など南九州に伝説が残っているのは、やはりそもそも沖縄と南九州を各駅停車の海上交通ルートを行き来していた人々だったと妄想のビックバンがニニギノミコトの上陸地の存在を野間半島で見つけてから止まらずに、妄想のビックバンが何百回と神社検定弐級の寅の脳内を爆発しつづけるので、もー今までの一般常識的な宇宙ではなく、非常識な宇宙が寅の脳内コスモに広がってしまい・・・・それじゃ絶対に神社検定壱級は受かる訳がないので、受験するモチベーションすらないわけだと自虐な日々でここまでやってきました 苦笑_〆(´Д`; )ハハッ

あ、野間半島に行った話をブログにアップするつもりが、全然違う話をアップしてしまっているーーーーーーー(´-ω-`)ゞ スマソ!

ま、このご利益が全くないブログの読者は一部のマニア=マフィア=ゴッドファーザー以外いないから、ま、いっか アハハハハ!(≧ε≦)ノ))ウヶルウヶル